人物

加藤登紀子 本名と実家は?子供何人・プロフィール 徹子の部屋

シンガーソングライターと女優として知られる【加藤登紀子 】さんは、1971年「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。「百万本のバラ」のヒットも有名です。

国内はもとより、ニューヨークのカーネギーホールなど、世界各地でもコンサートを行っています。

また女優としては1983年に『居酒屋兆治』に出演しています。

今回はそんな【加藤登紀子 】さんのプロフィール・お子さんのことなどを調査します。

加藤登紀子 本名と実家は?

加藤登紀子 プロフィール

名前:加藤登紀子(かとうときこ)  愛称:おときさん

本名:藤本登紀子(ふじもとときこ)

生年月日:1943年12月27日

出身地:満州国・ハルビン市

学歴:東京大学文学部西洋史学科卒業

【加藤登紀子 】さんは、1972年全学連の藤本敏夫氏と獄中結婚します。約30年間連れ添った夫は2002年に肝臓がんで死去されます。

二人の間には3人の娘さんがいます。

加藤登紀子 実家(両親)は?

【加藤登紀子 】さんが生まれた1943年頃はとても厳しい時代背景があります。お父様は旧満州国ハルビン市の「日露協会学校」を卒業して、「南満州鉄道株式会社」に勤務されます。(ちなみに旧満州国ハルビン市は現在の中国東北部です)

厳しい環境のなか、消息不明の父を残して、【加藤登紀子 】さんが2歳の時になんとか日本へ帰国します。そして、まもなくするとお父様も無事帰国します。

お母様の実家がある京都で中学1年まで過ごし、その後にお父様がNHKに勤めていたこともあり、東京都世田谷区に転居します。そして1957年にはロシア料理店「スンガリー」をオープンします。

お母様から『自分のやりたい道を選びなさい』と言われていた【加藤登紀子 】さんは高校2年生の時に国会前での『60年安保反対デモ』に参加します。

その4日後に女性の学生活動家・樺 美智子(かんばみちこ)が警官隊との衝突で亡くなったことを知り、『樺さんの後を継ぐためにも東大に入ろう』と決意したそうです。

そして現役で東大に入学します。

加藤登紀子 子供は娘が3人!

1972年に全学連の藤本敏夫氏と獄中結婚。この時に長女を妊娠しています。

1974年に夫が出所して、1975年に次女、1980年に三女を出産。

【加藤登紀子 】さんには3人の娘さんを授かっています。

・長女:藤本美亜子さん

・次女:藤本八恵さん

・三女:藤本美穂さん

長女:藤本美亜子さん

以前は都内・青山で器のお店「草so」を経営していましたが、今現在は千葉県の鴨川市へ移住しています。

父親の故藤本敏夫さんが生前に多目的農園『鴨川自然王国』があり、器のお店とカフェを経営しているそうです。

鴨川自然王国公式サイト

次女:藤本八恵さん

Yaeの名前で活動しています。1995年に音楽劇『コルチャック先生』で女優デビュー。その後はシンガーソングライターとして活動。長女の藤本美亜子さんと一緒に千葉県の鴨川市で農業もしていて、半農半歌手とも言われています。

yae 公式サイト

三女:藤本美穂さん

情報がなく、不明です。

まとめ

【加藤登紀子 】さんはまさしく激動の時代を生きてきた女性です。日本酒が好きで、毎年定期的に自らも飲みながらの「ほろよいコンサート」を行っています。

また、【加藤登紀子 】さんは2017年にお母さまを101歳で亡くしていますが、【加藤登紀子 】さんご自身で介護をされていたそうです。

1月に亡くなったお母さまは年末の「ほろよいコンサート」の最終公演を終えるのを待つように穏やかに旅立ったそうです。

そして現在は6人のお孫さんたちに恵まれているそうです。

これからも素晴らしい歌声を届けてくださいませ♪